サーフィンの上達とはとにかく時間がかかるものである。
上手くなるとは何か?
「サーフィンは“上手く”なるべきものなのか?」
私はこのことについて、ずっと考え悩んでいる。
もちろんやるからには「上手くなりたい」という率直な願望はある。
もっとスピードを出したい、もっと軽快にボードをコントロールしたい、どんなコンディションでも楽しめるようになりたい、など欲は尽きない。
しかし、それが自分のサーフィンの目的なのか?と問われると困ってしまうのだ。
その意味で言ってしまうと、私は別に上手くなることを目指していない。
私が上手くなるのを目指さない理由
なぜならば、私が目指したいことは上手くなることとは別のところにあるからだ。
バリ島のパダン・パダンの波にも乗りたい、
ハワイのパイプラインの波にも乗りたい、
ジョーズの波にパドリングでテイクオフしたい、
いや、冗談だ。ここまで大げさな話でなくても、湘南に待ちに待った台風スウェルが入ってきたら、一番良いセットに一番良いところからテイクオフがしたいのだ。
そして最もスピードの出るラインを描いてインサイドに着く頃にはアドレナリンを大放出させたいのだ。
要は大きな波で目いっぱいのスリルを味わいたいだけなのだ。
そしてそうなるために「上手くなる」ことは必要条件ではないと私は思っている。
なぜならば、最低限
- テイクオフができて
- 波の斜面を走ることができれば
上記の「大きな波で目いっぱいのスリルを味わう」という目的を達成できるからだ。
もちろん、台風波でテイクオフができるようになるまでには、それなりの練習を重ねる必要がある。
- 安定したパドリングで波を超えて沖に出られるようになり、
- テイクオフできる波とテイクオフできる波の場所を見極めて、
- 適切なタイミングでパドリングをスタートし、
- 体が持ち上げられたほんの一瞬を逃さずに立ち上がってスタンスを決め、
- 進めたい方向に重心をかけ、波に合わせてターンをする
……まだまだ動きを細分化すれば書くべきことは山のようにあるが、単に「波に乗る」のひと言だけで済む話には、実はこれだけの多くのプロセスが潜んでいるのである。
問題はここから先だ。テイクオフして走れるようになった後の目的に、すぐ「オフザリップ」とか「エアリアル」とか、妙にテクニカルな方向に走ってしまいがちなのである。
メディアや雑誌、ショップの洗脳のせいか、まるで「オフザリップをマスターできなければ上手いサーファーとは言えない」とでも言わんばかりの考えがあまりに横行している。
これは考えがあまりにも一元的だ。マラソンランナーが「2時間30分以内に完走できてこそマラソンランナーである」なんて言うだろうか。野球選手が「150km/hの球を打ち返せてこそ野球選手だ」なんて言うだろうか。
サーフィンにおいてこんなつまらない考えが蔓延しているから、多くの日本人サーファーは「自分はいつまでたっても上手くならなくて……」と口走り、サーフィンに対するモチベーションを下げている。これは実にもったいなさすぎる。
そんなことはない。沖に出て波をキャッチし、波の上を走れる時点であなたはもう十分サーファーなのだ。
「上手くなる」という言葉に感じる違和感
だから、そんな私にとって「上手くなるために」というスタンスで書いてあるものを読んだり聞いたりすると、どうしても違和感を感じずにはいられない。
とにかく、サーフィンで目指すベクトルが画一的すぎるのだ。
その昔、お世話になっていたショップのオーナーさんからは、
「もっとテクニックの基礎をマスターするためには」とか
「まずはノーマルショートを極めてから」とか
「フィッシュやロングに乗ると下手くそになる」とかよく分からないことを言われ続けて、その考え方で次に作るボードのタイプやサイズを決めていた。
今から思えば随分と浮力の足りない、ペラペラなボードをオーダーしていたなと思うが、
そんなボードでテイクオフができることが、ある種のサーファーのステータスであるという考えも私の中にあった。
なぜなら、当時の私はまだサーフィンに対する理解が浅く、
「サーフィン上達=ショートボードのテクニックをマスター」
という今から思えば実に意味不明な謎理論を盲目的に受け入れていたからだ。
なぜそのような考えに陥ってしまったのかというと、当時の私の周りのサーファーたちには、そういう考えをする人しかいなかったからだ。
そうしていつの間にかそういったショートボード教に洗脳されてしまった私は、
「ショートボードでテイクオフできるサーファーこそ上手い、ロングボードでしか乗れないサーファーは下手クソ」
というロングボーダーに失礼極まりないショートボード教の教義を本気で信じていたりした。
しかし一方で、
「自分は本当は、もっと波乗りそのものを純粋に楽しみたいだけなんだけどな~……」
という違和感が私の中にずっと拭えずにいた。
そんな私の違和感は次第に疑念へと発展し、「もっと色んなボードに乗ってみたい!」という考えに変わって行った。
私は「ショートボードありきのサーフィン」にすっかり辟易してしまったのだ。
私の疑念を確信に変えた長いボードと茅ヶ崎の波
「6フィートのショートボードでバレルに入れるようになることこそサーファーの目指す道」という1つのベクトルしか知らなかった私が、
そういう考えから解き放たれたのは、千葉から湘南に移って茅ヶ崎がホームとなってからである。
年間を通じて小波が続く湘南では、ペラペラのショートボードだけではとても楽しむのは不可能だとさすがの私にも分かった。
そこで浮力たっぷりの長いボードを生まれて初めて購入してメインボードとした。
これは冗談でも大げさでもなく、私はそのボードに乗るようになってから、
「サーフィンってこんなに面白いものだったんだ♪」
と生まれて初めて思った。
また、そういうボードに乗る人が多く集まる茅ヶ崎のサーフィンエリアには、にこやかに穏やかに、純粋にサーフィンを楽しむ人がたくさんいて(もちろん全員がすべてではないが)、
そういう人たちに囲まれてサーフィンをしているうちに、私もやっとサーファーとして自分のアイデンティティが見えてきたのである。
別に地域そのものをディスるわけではないが、千葉でサーフィンをしているとみんな眉間にしわを寄せて波を待っている。
片貝新堤とかでセットが入れば必ずどこかから「ヘイ!」と大声が聞こえてくる。
喧嘩しているサーファーも見かけることもある。
そんな殺伐とした海の中に居るのは正直いたたまれない(くどいが千葉のすべてがそうではない)。
サーフィンは“上手くなること”が目的ではない
私は「みなさんロングボードにぜひ乗りましょう!」なんてことが言いたいのではない。
サーフィンはショートボードだけではない、オフザリップやエアリアルだけがサーフィンではない、もっと言えば「サーフィンは何も上手くなることが目的ではない」ということがとにかく言いたいのだ。
私はただ、その波を最も楽しめるボードをチョイスして、いま目の前にあるその波を他の誰よりも楽しみたいだけなのだ。
そしてそのためにショートボードやロングボードのみならず、スポンジボードやアライアやSUPなどなど、可能な限り色んなボードに乗ってみたいだけなのだ。
だから今、あなたが他の人から「もっとショートボードを上手くならなきゃダメだ」とか訳の分からないことを言われ続けていて、「俺ってサーフィン上手くならないな~、もうやめようかな~」なんて悩んでいるのであれば、ぜひ一度視点を変えて色んなサーフィンに触れてみてほしい。
そうすれば、あなたがサーフィンを楽しく続けて行くために、「自分はどんなサーフィンがしたいのか」という目的がより明確になってくるはずだ。
プロになるとか試合に勝つとかそういう画一的なベクトルではなく、
「サーフィンによって自分はどんな人間になりたいのか」という
もうちょっとピントを引いた話でもある。
別に「湘南のヒザ波をショートボードで極める!」というのを心底楽しめるのであれば、ぜひそれをやるべきだ。
私はかつての苦悩を経て、今のスタンスを確立した。
だからあなたも「好きに波に乗って良い」と思う。
誤解しないでほしいが、私はショートボードも大好きだ。ショートボードでしか味わえないスピード感は絶対にある。
繰り返すが、サーフィンは「エアリアルができる=上手い」とかそんな単純な話ではない。
ジェイミー・オブライエンを見てみてほしい。ボードを2枚携えて巨大な波にパドルアウトして、テイクオフしてから2枚のボードを乗り替えているのだ。
これは極端な例かもしれない。
しかし、サーフィンとは、実は世界で唯一のあなただけの楽しみ方を創りだすことができる、めちゃくちゃ楽しい遊びなのである。