湘南(茅ヶ崎・鵠沼・辻堂)の波情報、サーフィンコラム [波日記]

2004年よりサーフィンを始めた男が綴る、湘南(茅ヶ崎・鵠沼・辻堂)や千葉、伊豆などの波情報、サーフィンレポート、サーフィンコラム

サーフィンスタイルとは一体何なのかについて。

「サーフィンなんて楽しんだもの勝ち。」

とはよく言われることですが、

最近はことこの言葉の意味を深く考えるようになりました。

海の楽しさをサーファーよりも分かっていた海水浴客

先週末、兄の家族が来訪したので近所のビーチへと散歩しました。

特に海水浴するわけでもなく、ただボーッと海水浴客や波を眺めていました。

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▲8月3日昼、茅ヶ崎サザンビーチで賑わう海水浴客たち。

ときおり訪れるショアブレイクに合わせて浮き輪でテイクオフにトライする子供や大人たち。

彼らの顔はみな満面の笑顔でした。

いつも眉間にしわを寄せて沖で波を待っている我々サーファーとは比べ物にならないほど彼らは海を心底楽しんでいました。

同じ海に入っているのに、この違いって何なのでしょうか?

ストイックな剣道の世界から一転して自由なサーフィンの世界へ

私の話になりますが、私はサーフィンを始める前まではずっと剣道をやっておりました。

剣道はその理念を全日本剣道連盟によって

「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」

と定められており、「修練」「人間形成」という言葉が示すように、おおよそ「楽しむ」ことからはほど遠い世界です。

競技としてのスポーツとはたいがいストイックなものです。

プロのスポーツ選手やオリンピック選手などは、負けることが許されないそのストイックな姿を我々に見せて感動を与えることが目的です。

もちろんプロでなくても競技に情熱を燃やしているスポーツ選手ならば競技で勝つことが唯一絶対の目的です。

幼少の頃からこのようなストイックな世界で育った私が、ある日、突然に出会った自由で厳しいサーフィンの世界。

どのように波に乗っても誰からも文句言われませんが、楽しめるようになるまでの道のりは何よりも厳しい世界。

改めて思い起こすと、私がサーフィンに惹かれたのはそんな点だったのだと思いました。

もちろん、はじめから楽しめるわけもなく……

そんな私ももちろん最初からサーフィンを楽しんでばかりではありませんでした。

東京から千葉まで朝早くにクルマで行って、1回も波に乗れずに帰ってきたこともありました。

しかしそんな割に合わない遊びを続けられたのは、1回味わった波に押される感動が忘れられなかったからでしょう。

「もうちょっと頑張ればきっとあの波に乗れる」

そう自分に言い聞かせて春夏秋冬、毎週毎週、飽きもせずに海に通っておりました。

そうして10年ほど経った今、うっすらと見えてきたのが冒頭で申し上げた「サーフィンなんて楽しんだもの勝ち。」に尽きるわけです。

サーフィンを始めて間もない頃に、本か雑誌かで

「最初の10年は勉強。そこから本質が見えてくる」

と言ってたジェリー・ロペスのお言葉を読んで、そんなに長いこと勉強すんのかよ~!と閉口したものですが(笑)、今になってみるとこの言葉は本当にその通りだなと思えてきます。

苦節の末、私が選択したサーフィンのスタイルとは?

サーフィンは色んな関わり方を許してくれる懐の深いスポーツ、遊びです。

WCTで優勝することだけを目標に全てを賭けてストイックに打ち込むサーフィンもあれば、長いボードでひざサイズの波にだけゆったりと乗るサーフィンも認められる世界です。

そんな中では私は

今いるこの波を誰よりも楽しむ

サーフィンを選択しました。

波が大きすぎて乗れなかったら波の小さいポイントに行けばいい。

逆に波が小さすぎれば長いボードやビート板で遊べばいい。

すねサイズの波であろうがバナナのように反り返ったノーズの尖ったショートボードに必死の形相でテイクオフするサーファーもいますが、それは私の選ぶスタイルではありません。

1ラウンド終えて海から上がったときに「あ~今日も楽しかった~!」って思うことができれば私の場合の目的達成になります。

もちろん、未だにそれができない日もあります。

だからこそ、このコンディションの波ならどうすれば楽しめるか、それを第一義にこれからもサーフィンを続けます。

くり返しますが、だからこそ「サーフィンは本当に楽しんだもの勝ち。」なんです。私にとっては所詮ただの遊びです。