波日記 湘南(鵠沼・辻堂・茅ヶ崎)・千葉の波情報、サーフィン情報

2004年よりサーフィンを始めた1975年生まれの男が綴る、湘南(鵠沼・辻堂・茅ヶ崎)や千葉などの波情報、レポート、サーフィンコラム

サーフトリップ回顧録(伊良湖・ハワイ・バリ・新島・種子島・八丈島)

※この記事は2014年1月に書いた記事を再構成したものです。

今回は自分なりのサーフトリップ回顧録を書いてみたくなりました。

まずは私がサーフィンを始めたばかりの頃に出会った旅についてです。 

【1】2004年5月2日~4日・伊良湖~浜松トリップ

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2004年の初夏、まだ私も28歳。

これがいわゆるサーフトリップというものの初体験だった。

サーフィンも始めたばかりで、通販で30,000円くらいで買ったノンブランドのショートボードを携えて、友達とクルマでワクワク気分で旅立った。

夜中のうちに東名高速道路を抜け、まずは伊良湖の百々(どうどう)というポイントに朝一で到着することを目指した。

当時、私もクルマの運転が不慣れであったのもあって、高速道路では追い越し車線をチンタラ走り、何度か後ろからパッシングされた。

最後は運転を交代してもらって助手席で眠っているときに百々に着いた。

そのときに起こされて、目の前に現れたビーチにはちょっと感動したことはよく覚えている。

と同時にちょっと怖かった。誰も居ない、見知らぬ海に繰り出してまだ自信のないサーフィンをするということが、何だか良くないことのように感じ始めたのだ。

どんな波だったか、全く覚えていない。ただ、人がほとんどいなかったので、大した波ではなかったのだろう。

昼になって、携帯の波情報を頼りに浜松の方へ移動した。あとで知ったのだが新居というポイントだった。

そこで夕波サーフィンをしたのだが、ちょっとだけテイクオフできて浮かれたのはよく覚えている。

それから浜松で焼き肉を食って健康ランドに泊まり、翌日に帰った。初のサーフトリップはそんな平凡なものだった。

【2】2004年5月21日~25日・ハワイ

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当時の社員旅行で運良くハワイに行くことができた。

まだ、サーフィン初心者中の初心者であったが、本場ハワイでサーフィンができるうれしさに、またもや浮かれまくった。

経験のある友人から情報収集し、ボードチャージは金がかかるとのことで現地で新しいボードを買うことにした。

むしろ、新しいボードが買えることでテンションがさらに上がった。

いざ出発時、若気の至り(当時28歳)で修行僧のような奇抜で痛いファッションに身を包んだ当時の私は、当然のごとく入国時にホノルル空港で止められることになった。

同時多発テロからまだ3年くらいしか経っていなかったので、警戒しているのは当たり前だった。

さんざん説明して会社の名刺も見せてようやく釈放してくれた。人生初の海外入りはとんだ目にあった。

無事入国して、まず友人たちと事前に調べたサーフショップへと向かった。

店員も日本人だったので、スムーズに話が進み、50,000円ほどで6'2"のショートボードを買った。あとで調べたらPuringtonというシェイパーのボードだった。

ワクワクした気持ちでボードを抱えてホテルの部屋に戻り、トロピカルワックスを塗ってリーシュをつけ、トランクス一丁でお湯のように温かい常夏のワイキキビーチにパドルアウトした。この温かい水温が何よりうれしかった。

波は分厚く、セットがくるとアウトからロングボードの集団がミサイルのように向かってきたのが怖かった。このショートボードでテイクオフできた記憶はない。

仕方なくビーチでロングボードをレンタルしたら、生まれて初めてロングライドができて(とは言えまっすぐ進むだけだが)、心底感動したのはよく覚えている。

ただ、ロクに日焼け止めを塗らなかったので、上半身はほぼ火傷になるまで日焼けをした状態で帰国した。初ハワイはそんな旅だった。

【3】2005年10月中旬・バリ島初トリップ

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サーフィンの魅力にすっかり取り憑かれてしまった私は、かねてから行きたいと切望していたバリ島へサーフトリップに繰り出すことになった。

ガイドブックを買い、毎日むさぼるように読み込んだ。

リーフブレイクって波のパワーは凄いみたいだけど規則的に割れるんだろうか?

現地のローカルサーファーは怖くないだろうか?

そんなことばかり、毎日考えていた。

奇しくもその年の10月1日にバリ島でテロが発生し、渡航を控えるようにと外務省は言っていて焦った。

旅行会社に問い合わせたが「よく分からないけど多分大丈夫では?」という超いい加減な返答にさらに焦った。

しかし怖さよりも行きたい気持ちが勝って結局行くことにした。

いざ初めてバリ島の地に足を下ろした瞬間、徐々に全ての不安はワクワクへと変わった。

街を彩る鮮やかな色彩、

そこらで聴こえる独特の宗教音楽、

漂うお香の香り、

ビンタンビールとナシゴレンの旨さ、

そして力強い波の感触、

まさに五感の全てを刺激してくれるアナザーワールド

日本での煩悩や雑念の全てをいったん脇において、6日間思いっきり楽しんだ。

波ももちろん楽しかったが、サーフィン以外でも特に人が楽しかった。

クタの街を20~30mでも歩けば気さくなバリニーズがほぼ100%「元気?」と声をかけてくる。

そのまま何するわけでもなく、1時間以上も会話(日本語で)し続けることもしょっちゅうだった。

日本人は大事な観光客であることを抜きにしても、異常なまでの親日っぷりに驚いた(あとで調べたらどうやら戦時中に日本人が身を挺してバリ島を守ったという歴史があったのだそうだ。)。

滞在して3日目くらいのある日、ボードを持ってレギャンビーチに向かって歩いていたら一人のサーファーが声をかけてきた。

彼は名をカトゥと名乗った(バリ島では四番目の子供は例外なくカトゥと名付けられる)。

典型的なバリニーズのキャラクターを持つカトゥとは1分で意気投合し、そのまま一緒にレギャンビーチに入った。

会って数分しかたっていない私を自分のローカルポイントへ快く誘い、周りのサーファーたちへ私のことを「彼は友達だから波に乗せてあげて」と言い回ってくれた。

サーフィンを始めてこんなにうれしかったことはなかった。殺伐とした日本のサーフポイントとのあまりの違いに心底カルチャーショックを受けた。

それからカトゥと連絡先を交換し合い、その後も計4回バリ島に行った。今ではバリ島でのサーフガイドは全てその彼にお願いをしている。

しかし2009年3月以来行けていないので、いい加減行きたいところである。

【4】2005年5月6日~8日 新島

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この時期は離島への旅というものが自分の中で密かなブームとなっていた。

首都圏で生まれ育った自分にとって、離島のように周りが海で囲まれた環境に純粋に好奇心が湧いた。

恐らくサーフィンをしていなければ、このような離島には一生涯訪れることはなかったであろう。

手始めに初めて訪れたのは新島だった。波が良いのと東京から近い、という理由だけで決めた。

一人で竹芝からのジェット船に乗り、新島へはあっという間に着いた。

観光協会から紹介してもらった民宿の旦那さんに、船着場でピックアップしてもらった。

最初に驚いたのは伊豆諸島のクルマは品川ナンバーであるということだ。そう、伊豆諸島でありながらも住所は東京都なのだ。

昼前には宿に着き、すぐに海に行きたくなった。宿の女将さんは普段からサーファーばかりを相手にしているので、「今日はシークレットというポイントでサーフィンできますよ」と説明も手際良かった。

場所を教えてもらい、自転車を借りていざ海へ向かった。そこからが大変だった。

自転車を停めてからまず100mほどの長い下り階段をおりると白砂のビーチに着く。そこか数100mほど歩いてポイントまで行かなくてはならないのだ。

ようやっとポイントに到着したが、予想外に人が多くて驚いた。

波は胸~肩くらいであろうか。玉石ブレイクだったのでパワーがあり、当時まだ初心者だった私にはキツいブレイクだった。ロクに乗れずに退散した。

結局、この新島でまともに波に乗れた記憶はない。しかし、本当に波の良い島と聞いているので、ここもいつか必ずリベンジしたいと思っている島である。

しかし当時あれだけのサーフィンの腕でよく新島に行こうと思ったものである。若くなきゃできない。

【5】2007年9月4日~6日 種子島

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私が今のところ国内で最も良いブレイクに出会えたのがこの種子島だ。

種子島のサーフィンの楽しみ方は一言でいえば「自由」だ。

レンタカーにボードを詰め込んだらあとは風の合うポイントを探して島内をぐるぐるとドライブすればいい。たったそれだけでいいのだ。

種子島には鉄砲館や宇宙センターなど観光スポットがあるにはあるが、それが目的で行くところではない。

首都圏にはない、島独特の自然や文化が織りなす色を楽しみに行くのだ。

海はもちろん、広~い畑や植物、そして長く長く続く道路も見ていて案外楽しい。

そして何より寂しいくらいに人がいないのだ。

しかも種子島はビーチに囲まれ、サーフィン可能なブレイクが点在している。従って無人ブレイクにかなりの確率で出会える。

もちろん鉄浜やホテル前などのメジャーポイントはあるが、そこをあえて避けて無人ブレイクを探すことこそがこの島の楽しみ方だ。

クルマを走らせると、ちょっと入れそうなブレイクが見えた。クルマを停めて茂みの中を抜けると目の前に誰もいないブレイクが広がっていた。

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まるで無人島に来てしまったかのような錯覚にすら陥った。

旅先で出会ったポイントに初めて入るのはガイドがいても緊張するものだが、それが誰もいないポイントであればその緊張感は倍増する。

潮の流れやボトムがどうなっているかは入ってみないとわからない。

しかし、目の前には極上のブレイクが次々と私を誘うかのように割れ続けている。私は危なくなったらすぐ上がると自分に言い聞かせながら海に向かってパドルアウトした。

種子島の波は強力だ。乗れれば超爽快だが、それと同じくらいに巻かれれば普段の千葉より数倍苦しい海のお仕置きをくらうはめになる。この上なくスリリングだった。

種子島、また訪れてみたいと思う島のひとつである。 

【6】2007年12月末 八丈島

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島旅に目覚めた私が次に目をつけたのが八丈島だった。

事前にネットでリサーチしたら、この島でサーフィンできるところは1か所しかなく、そこに3つのポイントが存在するとのこと。

さらにビジターは原則、一番奥にあるタコスというポイントでサーフィンするべしとのこと。

特に一番手前のカイザーというポイントはローカルサーファーに牛耳られているので、このポイントは避けるべしと書かれていた。

今まで訪れた島のなかでは最も閉塞感を感じて不安であったが、とにかく行ってみようとANAのチケットと民宿を手配した。

泊まった民宿の人がローカルサーファーだったのもあり、ポイントの入り方その他について詳しく教えてもらった。想像以上にフレンドリーで安心した。

しかし、そのポイントへの行き方を聞いて驚いた。

ポイントにたどり着くためには玉石や倒木がアスレチックのようにひしめき合っている場所を15分かけて歩いて抜け、そのあとさらに15分以上も延々とパドルアウトしてようやくブレイクに到着するのである。

どうりでローカルサーファーがわざわざ入らないわけだ。しかし、さらに驚いたのが30分以上かけて到達したこのポイントに、すでに多くのサーファーがいたという事実だった。

さんざん苦労してここまで来たのに、いつもの千葉と変わらない混雑っぷりに愕然とした。ただ、この時は年末時期だったから仕方なかったのかもしれない。

しかし波はすごく良かった。アウトでは厚めにブレイクし、インサイドで最後にガボッと掘れる波。しかもボトムが玉石なので波の割れ方も規則的だった。

しかも水の透過度がハンパなく高い。目を開けてドルフィンしたくなるくらいだ。その後オフシーズンに3回ほど八丈島に訪れたが、この極上ブレイクを仲間内だけで堪能する機会にも恵まれた。

【おわりに ~これから行ってみたいところ~】

サーフトリップは波をメインとしながらも必ずしもサーフィンだけに終わらないところが楽しいものです。

食、人、自然、歴史、アート、宗教、そういうものとのふれあいも含めて波があるからこそ楽しいのだと思います。

まだまだ私が行ってみたいところがあります。特に初めて行くところに絞って挙げますと、

これらは私がサーフィンできる体力がある内にぜひ行きたいものです。あとはお金と都合をいかにやりくりするかにかかっているのですが……(笑)。

今まで素晴らしい波を与えてくれたすべてのビーチと、そこで出会ったすべてのサーファーの皆様に深く感謝します。

サーフトリップ最高!