湘南(茅ヶ崎・鵠沼・辻堂)の波情報、サーフィンコラム [波日記]

2004年よりサーフィンを始めた男が綴る、湘南(茅ヶ崎・鵠沼・辻堂)や千葉、伊豆などの波情報、サーフィンレポート、サーフィンコラム

このサーフィン映画だけは外せない。

ライディング・ジャイアンツ [DVD]

ライディング・ジャイアンツ [DVD]

 

もし、「あなたがオススメのサーフィン映画を1つ挙げてください。」と問われれば、私は迷いもなくこの「ライディング・ジャイアンツ」を挙げる。

私はこの映画を映画館でも見て、DVDを買ってからも2年経つが、未だに1年に2回くらい見ている。

もう、ただただ一言、「サーフィンってすげぇ~!!」としか思えないくらい、想像を絶するサイズの波。ダブルとかトリプルとか、そんなレベルじゃなくて。

ジョーズにトゥイン・サーフィンで乗ることを開拓したレイアード・ハミルトンはもちろん凄い。しかし、この映画の初めの章に出てくる、ワイメアの波を開拓したグレッグ・ノールは、人間の限界というものを軽々と超えた何かを平然と見せつけてくれる。

時代だからと言われればそれまでだが、考えてみてほしい。ワイメアの20フィートのホレホレな波に、11フィートのロングボードを携え、リーシュコードすら付けずにトランクス一丁で笑顔で挑むのである。今だったら「自分の技量を考慮して適したポイントを選びましょう」で片付けられて終わりだろう。

カリフォルニアのマーヴェリックスを開拓し、10年以上も一人でそこでサーフィンを続けたジェフ・クラークも人間とは思えない鉄人だ。日本で言えば東北~北海道並みの緯度に位置するこのマーヴェリックスの冷たい水温の中で、40分以上パドリングしてポイントに到達し、20フィートの波に乗ったあとワイプアウトし、ゴツゴツの岩山に打ち付けられて命からがら帰ってくるのである。さすがにここまでくると、憧れるとか真似たいとか一切思えない境地である。

まだなかなか上手い表現が思い付かないが、サーフィンを通じて「生き方は自由でいい。自分が乗りたい波に乗り、楽しむこと。それが何よりも大切。」という気持ちが伝わってきてならない。

日常、例えば千葉の波でサーフィンをしていると、周りにはエキスパートが沢山いる。小学生でも自分より10倍上手なサーフィンをしていることもある。また、雑誌を開いても、サーフィン関連の知り合いと話をしていても、そういったコンペティターのサーフィンが必ず話題の中心になる。

具体的にはスピード感のあるボトムターン、スケッグ抜け抜けのオフザリップ、かっ飛ぶエアリアル、あれらこそが憧れるべきサーフィンであり、目標とするサーフィンであるという前提で全ての話が進められ、誰も「レイアード・ハミルトンのトゥイン・サーフィン」について語ろうとしない。少なくとも私の周りで「レイアード・ハミルトンのトゥイン・サーフィン」について語り合える仲間は1人しか居ない。

別にひがんでいる訳ではなくて、もっと色々なサーフィンが当たり前にあっても良いと私は思っている。例えば私は先日、千歳で入水したときに、テイクオフを誤って膝立ちのまま滑走してしまった。これが試合だったらいわゆる減点対象以外の何者でもないであろう。がしかし、私はそのまま滑ったのだが、これが予想外に面白かったのである。普段味わうことのできない疾走感があり、スタンドアップしたスタイルでは決して不可能なラインで波に乗ったのである。

膝立ちのみならず、体育座りでも片足でも逆立ちでも良いと思う。そういった自由な視点で波乗りをすることの大切さを、この映画は教えてくれる。そういう気持ちを忘れかけたときに、私は無意識にこの映画のDVDをプレーヤーに入れているのかもしれない。

誤解しないで欲しいのが、私はケリー・スレーターやトム・カレンのサーフィンも大好きだ。彼らのサーフィンを見ていると、とてもスカッとする。ただ、あれはサーフィンを究めた数あるスタイルのうちの1つであり、他にも色々な楽しみ方があるんだよという視点を大切にしたいだけなのだ。

『ライディング・ジャイアンツ』はそういう視点について少なからず興味があるサーファーなら絶対に見ておくべき映画である。但し、バリバリのコンペ嗜好なサーファーや、サーフィンにまったく興味がない人はもしかしてあまり面白くないかもしれないという免責文を最後に記してこの文章を締めようと思う。

もし、「あなたがオススメのサーフィン映画を1つ挙げてください。」と問われれば、私は迷いもなくこの「ライディング・ジャイアンツ」を挙げる。

私はこの映画を映画館でも見て、DVDを買ってからも2年経つが、未だに1年に2回くらい見ている。

もう、ただただ一言、「サーフィンってすげぇ~!!」としか思えないくらい、想像を絶するサイズの波。ダブルとかトリプルとか、そんなレベルじゃなくて。

ジョーズにトゥイン・サーフィンで乗ることを開拓したレイアード・ハミルトンはもちろん凄い。しかし、この映画の初めの章に出てくる、ワイメアの波を開拓したグレッグ・ノールは、人間の限界というものを軽々と超えた何かを平然と見せつけてくれる。

時代だからと言われればそれまでだが、考えてみてほしい。ワイメアの20フィートのホレホレな波に、11フィートのロングボードを携え、リーシュコードすら付けずにトランクス一丁で笑顔で挑むのである。今だったら「自分の技量を考慮して適したポイントを選びましょう」で片付けられて終わりだろう。

カリフォルニアのマーヴェリックスを開拓し、10年以上も一人でそこでサーフィンを続けたジェフ・クラークも人間とは思えない鉄人だ。日本で言えば東北~北海道並みの緯度に位置するこのマーヴェリックスの冷たい水温の中で、40分以上パドリングしてポイントに到達し、20フィートの波に乗ったあとワイプアウトし、ゴツゴツの岩山に打ち付けられて命からがら帰ってくるのである。さすがにここまでくると、憧れるとか真似たいとか一切思えない境地である。

まだなかなか上手い表現が思い付かないが、サーフィンを通じて「生き方は自由でいい。自分が乗りたい波に乗り、楽しむこと。それが何よりも大切。」という気持ちが伝わってきてならない。

日常、例えば千葉の波でサーフィンをしていると、周りにはエキスパートが沢山いる。小学生でも自分より10倍上手なサーフィンをしていることもある。また、雑誌を開いても、サーフィン関連の知り合いと話をしていても、そういったコンペティターのサーフィンが必ず話題の中心になる。

具体的にはスピード感のあるボトムターン、スケッグ抜け抜けのオフザリップ、かっ飛ぶエアリアル、あれらこそが憧れるべきサーフィンであり、目標とするサーフィンであるという前提で全ての話が進められ、誰も「レイアード・ハミルトンのトゥイン・サーフィン」について語ろうとしない。少なくとも私の周りで「レイアード・ハミルトンのトゥイン・サーフィン」について語り合える仲間は1人しか居ない。

別にひがんでいる訳ではなくて、もっと色々なサーフィンが当たり前にあっても良いと私は思っている。例えば私は先日、千歳で入水したときに、テイクオフを誤って膝立ちのまま滑走してしまった。これが試合だったらいわゆる減点対象以外の何者でもないであろう。がしかし、私はそのまま滑ったのだが、これが予想外に面白かったのである。普段味わうことのできない疾走感があり、スタンドアップしたスタイルでは決して不可能なラインで波に乗ったのである。

膝立ちのみならず、体育座りでも片足でも逆立ちでも良いと思う。そういった自由な視点で波乗りをすることの大切さを、この映画は教えてくれる。そういう気持ちを忘れかけたときに、私は無意識にこの映画のDVDをプレーヤーに入れているのかもしれない。

誤解しないで欲しいのが、私はケリー・スレーターやトム・カレンのサーフィンも大好きだ。彼らのサーフィンを見ていると、とてもスカッとする。ただ、あれはサーフィンを究めた数あるスタイルのうちの1つであり、他にも色々な楽しみ方があるんだよという視点を大切にしたいだけなのだ。

『ライディング・ジャイアンツ』はそういう視点について少なからず興味があるサーファーなら絶対に見ておくべき映画である。但し、バリバリのコンペ嗜好なサーファーや、サーフィンにまったく興味がない人はもしかしてあまり面白くないかもしれないという免責文を最後に記してこの文章を締めようと思う。