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波日記 湘南(茅ヶ崎、鵠沼)・千葉の波情報・サーフィン情報

2004年よりサーフィンを始めた1975年生まれの男が綴る、湘南(茅ヶ崎、鵠沼)や千葉などの波のレポート、サーフィンコラム

調子の良し悪し考

サーフィン コラム

サーフィンに限らず、物事には「調子」というものが憑き物の如く付いてまわるものである。

当然、調子の良いときは楽しめ、調子の悪いときは楽しめなくなる。その差は、自分がまるで別人になってしまったのではないかと錯覚するほどの差なのである。

仕事にしたっておしゃべりにしたってそうだ。調子良く仕事が回る日もあれば、何やっても上手く行かない日もある。同じ人間を相手していても、よく舌が回る日もあれば、言葉が出て来ない日もある。

だから普通に考えれば、人間は常に調子の良い自分に持って行こうと努力する。それは本能的に当たり前な所作なのかもしれない。

ただし!もしそれが実現して、いつ何時も調子の良い状態が作り出せることができればそりゃあ苦労しない。それが可能ならみんなとっくにそうしている。それができないから、人間はみな苦労しているのではないだろうか――。

古来より日本の武道に根付いていた言葉に「平常心」というものがある。どんな時でも、いつもの自分でいなさい、それがベストの自分なのだから、そういう教えである。まさしく、この漢字3文字の中に調子についての答えがそのまま反映されているのではないだろうか。

とあるプロフェッショナル(サーフィンにあらず)は、「技量は上限が高いよりも、下限が高い方がプロとして通用する」という意味のことを言っていた。確かに、自分はプロフェッショナルの定義をそれで収入を得ているという表面的なものだけではなくて、

「いつでもどこでもプロレベル」

これこそが本当のプロフェッショナルの定義なのではないかと思うのだ。「今日は調子が悪いから…」と言えないのがプロ。調子が良くて当たり前なのだから。「今日は自分のベストを尽くしました。」ではダメなのである。常に最高でなくてはならないのだ。

そういう「常に最高である必要がある」という過酷なミッションを課せられているプロだって、我々と同じ人間である。当然、「調子が悪い」時だってあるのだ。世に言う「プロって厳しいよね」の真意はここに込められていると私は感じてならない。

私の収入源は、Webの制作をすることだ。表面上はプロと言える。ただ、社員なので「調子が悪かった…」という甘えも、ある程度は許される環境であることは否めない。もちろん失敗は絶対にしてはいけないが、犯した失敗をリカバリーできる部分も含めて、会社という世界は全て先が見えている。逆に言えばそうでないと会社は成り立たない。

普通はそれでいいと思うのだ。誰しも己の才能に命を賭けて生きる必要はない。昼間の仕事はただ淡々と、己の生活のために行っておけばいいのだ。「好きなことは仕事にしない」これも立派な哲学だと思うのだ。

そしてせめて週末のサーフィンでは、先に述べたプロフェッショナルな姿勢だけでも、せめてもの原動力に毎回毎回の海を大切にして行きたいものである。実際はどうであれ、気持ちだけはプロと同じ目線を持ってサーフィンや自分が好きなことに接していきたい。